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![]() Dumascus (Syria) 1997 |
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Dumascus (Syria) 1997 |
自らも意図しないのに 横溝健志 写真展につけたタイトル「自らも意図しないのに―」の前後には「けれども、こんなことは何の価値もない。ほんとうのエスプリの働きは努力的ではないのだから、自らも意図しないのに、イマージュとして浮かんでくるのだ」の文章がある。辻まことの<制作ノート・メモ>からの引用である。エスプリは遠い言葉だし、イマージュも身に余ると思ったが、引用の箇所は、私の勝手に決めている旅や写真の作法みたいなものを言い訳してくれたと思った。 旅先で迷ってみる街の路地のたたずまいは、もとより意図などないのだし、そんな風景との出会いにこちらもさりげない振りをしてみるのだが、そこで写真機を構えるという行為は極めて意図に満ちていてウシロめたい。たとえ路地であっても、レンズには遠近の世界で、それを嫌えばひたすら壁に向かうしかない。写真というよりも絵を描こうとしているのかもしれないと思うことがある。ここが説明にならないのだが、奥行きとか立体といった透視図法の世界が苦手なのである。だからひたすら建物の平らな細部に、つまり扉や窓や壁に惹かれるのである。 どんな路地の壁でも、そこには人々の暮らしの歳月が染み込んでいるのだが、その嘆きや怒りや喜びや子供の叫び声が迷い込んだ外国人に聞こえるわけではない。光や風や走り過ぎた争う人々の影を意図することもなく記憶しているはずなのに、それはただ心躍る私の一枚の絵であった。 作品はこの数年人を誘って出かけている海外旅行からである。この 3 年間のブルガリア、トルコ、シリアの旅から選んだ。示唆に満ちた辻まことのメモからは「何の価値もない」や「努力的でない」のほうがタイトルとして正直だと思ったが、折角なので気取ってみることにした。 |
![]() Cappadocia (Turkey) 1997 |
![]() near Homs (Syria) 1997 |
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