[home] [index] [gallery] [profile] [mizzo写真館]
[introduction]




[朝の記憶]
かって、日本の街の朝は、新聞配達と競うようにして一軒一軒に瓶入りの牛乳が配達されていたように思う。だから、どの家でも郵便と新聞受けと、そして木製の牛乳箱が思い思いのひと固まりになって玄関の脇を飾り、それぞれの街の居住まいを形づくっていたのではないだろうか。  いま、そんな街が節操なく新しい建材の住宅に変わり、牛乳も紙パックをスーパーマーケットで買うようになって、あの木箱を見かけることも少なくなった。そんな街の変わりようを、他所モノがとやかくいってもしょうがないのだが、それでも、まだ各地の狭い地域をカバーする牛乳配達は健在である。人々の暮らしの香りが、狭い路地に漂うような気安い街には、ローカルな屋号を刷り込んだ木箱の毅然とした姿が欠かせないと思うのだ。そんな風景を追って列車の途中下車を繰り返してきた。  それは、まだ私が幼かった頃、目覚める前の浅い眠りのなかで、一合瓶のカタカタと触れ合う牛乳配達の重い自転車の気配を感じたような気がして、そんな遠い朝の記憶をたぐり寄せる旅であり、これはその記録である。


[牛乳箱について]
牛乳箱とは、長期の契約に応じて毎朝各家庭に配達される牛乳ビン(200CC)の受け箱のことである。それは通りに面した各家庭の玄関や門柱の程よい高さに釘で止められた木製の箱で、野鳥の巣箱のように片屋根の構造で、ビンの出し入れのために屋根か側面が開くようになっている。黄色に塗装されたものが多く、正面には鮮やかにブランド名が刷り込まれて、時には数社が同じ地域で競っているのを見かける。風雨に曝されるので老化が激しく、大手乳業会社のものは木製からプラスチック製に変わりつつある。最近は保冷などの工夫がみられ、住宅の事情から玄関わきに置くタイプのものが見られるようになった。  日本で牛乳が一般に販売されるようになったのは、明治3(1870)年に東京築地に牛乳会社が設立されてからといわれている。当時は、もっぱら病人用、乳幼児用とされていたが、明治14(1881)年には家庭向けに戸別配達が行われるようになった。明治20(1887)年には東京の牛乳店は150軒を数えた。容器は明治33(1900)年の規則によってブリキ缶にかわってガラス壜が用いられるようになったが、受け箱についてはまだ調べがついていない。  牛乳の消費量は昭和46(1971)年をピークに減少傾向にあり、さらにスーパーマーケットの発展にともなって戸別配達は危機的状況にある。しかし近年、配達制度の改善や受け箱の改良によって減少傾向に歯止めがかかったといわれている。


[参考文献]
「近代食文化年表」小菅桂子著 雄山社
「食生活世相史」加藤秀俊著 柴田書店
「図説・明治事物起源事典」湯本豪一著 柏書房
「わが乳業記」国生義夫著 明治乳業
「東京牛乳物語」黒川鐘信著 新潮社
「月刊魔法瓶18号”牛乳ビンは望遠鏡”」さえきあすか著 弓屋かえる堂
[インタビュー]
全国牛乳普及協会 黒柳氏
展覧会では、全紙から六つ切りまでのプリントを54点展示する。その内の42点を含めて、このホームページには一回目として79点の写真を掲載した。引き続き調査を進めたいので、情報をお寄せいただければ嬉しい。

home . index . gallery . profile . mizzo写真館
e-mail:yokomizo@musabi.ac.jp