朝の記憶


牛乳宅配の変遷

日本で牛乳が一般に飲まれるようになったのは明治になってからである。当初は高価な飲み物であり薬用の域を出なかったが、明治政府の士族授産政策もあり、旗本や武士たちは次々と牛乳搾取事業に転職していった。榎本武揚など著名な明治人が多数牧場経営に係わっている。永田町や麹町など、当時の東京には放牧に充分な広さの大名や旗本の屋敷跡が沢山あった。

ガラスびんのはじまり

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明治初年の阪川牛乳店の販売。杓子でドンブリに分けている(日本乳業100年の歩み/全国牛乳教会)から

この頃の牛乳販売は店頭での量り売りであったが、既に戸別販売も始まっていたらしい。当時の宅配は、大きなブリキ缶に牛乳を入れ、それにジョウゴと絵の長い柄杓をかけて訪問し、お客が出す容器に5勺(約90ml)を単位に量り売りしていたと言われている。

東京では明治10年代までこの形で宅配されていたようだが、やがてコルクなどの栓をした専用の一合(180ml)入りのブリキ缶になり、後にガラス製のビン詰めでの宅配に変わり全国に普及していった。初めてガラス製の牛乳ビンを使ったのは、明治22年牛込の津田牛乳店で、これはソースびんのような細口で、口には紙を巻いて販売したといわれている。

なお、昭和3年警視庁により施行された「牛乳営業取締規則施行細則」では、殺菌を義務付けると共に無色透明のガラスびんで紙栓を使用するように定められている。現在は昭和26年の乳等省令によって、口径26mm以上の広口無色透明ガラスびんを使用することになった。

宅配受け箱のルーツ

初期の宅配では、配達人は裏口から周囲を気にして届けたといわれているが、これは牛乳を買う家は病人がいると噂が立たないようにとの配慮からだったそうだ。したがって受け箱が使われるようになるのは、市井での普及が待たれるが、明治30年頃、東京豊島区にあった「強国舎」の牛乳普及を説いた冊子、舎主田村貞馬の『牛乳問答』の九コマ漫画に受け箱と思われる挿絵があるから、この頃からではないだろうか。「毎度御ひいき様、へいへい早速今日から御配達申し上げます」の文が添えられている。

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「興真舎案内/大正14年」に見られる牛乳配達風景(東京の牧場展図録/豊島区立郷土資料館)から

しかし、『明治乳業50年史』のなかで販売店主の座談会には「受け箱は外交を使ってやりますと特にたくさん打ちまして、宣伝効果がありますし、好感をもたれました。箱が初めて使われたのは大正5~6年ころですが、いちばん先の使ったのは興真舎さんでしょう。当時はお客さんの便利を図るのが主でなく宣伝が主であったようです。」という話が出てくる。10年程の時間差は想像で埋めるしかないが、まだ牛乳は高価であったから、牛乳箱の設置は誇らしくもあったのではないだろうか。興真舎は明治39年東京・小石川区(現在の文京区大塚)で創業している。

牛乳配達の苦労

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「興真舎案内/大正14年」に見られる牛乳配達風景(東京の牧場展図録/豊島区立郷土資料館)から

一方、配達の様子も社史に記録されている。『古谷乳業三十年史』(昭和51年)には“冬は早くしないと道路の霜解けが始まって自転車が動かなくなる。夏は途中で水をかけたり、餅草で日陰を作ったり. . . . ”とか、朝4時頃出発して100本ほど配り、帰りはお昼頃で午後は外交、新規10軒を取らないと帰れないといった話がある。大工の手間よりはよかったという話も語られているが、早朝365日休みなく重い牛乳びんを配る苦労は想像に難くない。ガラスびんによる宅配は英国と日本独特の方法であったが、ほとんどが紙容器のアメリカでもびん容器での宅配が復活しているという。配達は自転車から今では軽自動車やバイクに替わった。

牛乳店の衰退

その後、乳業は地域の酪農に密着しつつ発展するが、それは牛乳が日持ちのしない商品だからでもあった。したがって全国各地に消費地と密着する形で小規模の牛乳店が販売競争をしてきたと思われる。しかし、大手乳業メーカーの全国展開で合併吸収が繰り返され消滅した弱小乳業も少なくない。各地にわずかに残る朽ちかけた受け箱はその痕跡なのだろう。

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「興真舎案内/大正14年」に見られる牛乳配達風景(東京の牧場展図録/豊島区立郷土資料館)から

しかし、1970年代後半には大手乳業メーカーの大型紙容器の採用もあってスーパーマーケットなど量販店主導の流通が進み宅配は激減していった。1970年頃60%近くあった宅配は1999年の統計では5%程度に落ち込んでいる。さらに、2005年には乳業の再編・合理化を推進する国の政策によって、生産性の低いとみなされた工場は廃棄され消滅した。委託によって生き延びているブランドもあるが、町並みに残る牛乳の受け箱の多くはすでに役目を終わっている。

宅配のいま

現在の宅配は、置き型の専用保冷箱が各家庭で使われるようになった。また毎朝の宅配だけでなく、夕方や週に1日だけという消費者の都合に合わせた配達、また宅配機能を各種食料品に拡大するなど宅配の衰退を食い止める努力がなされている。